伏見稲荷大神はどんな神様なの?参拝したら見ておきたいスポット

日常生活の疑問

昔からお稲荷さんは、穀物や農業の神として信仰されてきました。しかし、その徳が次第に広まり、今では商売繁盛やさまざまな幸福をもたらす神として崇められています。

ポイント
  • 稲荷神信仰の歴史と進化:お稲荷さんは元々穀物や農業の神として信仰されていたが、商売繁盛やさまざまな幸福をもたらす神としても崇拝されるようになったりました。
  • 正一位の神階:正一位は神社で与えられる最高位の神の階級で、淳和天皇の時代から始まり、天慶5年には「正一位」に昇格しました。
  • 稲荷大神と五座の神々:稲荷大神の主祭神である宇迦之御魂大神は稲の精霊を神格化したもので、五穀豊穣を司る神として崇拝されています。他にも佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神が祀られています。
  • 伏見稲荷大社の歴史と豊臣秀吉との関係:伏見稲荷大社の社殿は豊臣秀吉による修復が行われました。
    秀吉は母の病気平癒を祈願し、信仰を深めた後に社殿の修復に尽力しました。
  • 狐(白狐)の役割:お稲荷さんの使者として白狐が信仰されています。狛狐の像が境内に多くあり、さまざまな宝物をくわえています。
  • しるしの杉と千本鳥居:しるしの杉は商売繁盛や家内安全の象徴で、初午詣の際に授かるものです。
    千本鳥居は参道に朱塗りの鳥居が並び、神の降臨地へ続く象徴的な場所となっています。
  • おみくじと御朱印:伏見稲荷大社のおみくじには特有の種類があり、御朱印も人気があります。
  • 稲荷山とその神蹟:稲荷山には七つの神蹟があり、各神々が降臨された場所とされています。
    熊鷹社や眼力社などの末社も存在し、特定の願い事に応えると信じられてます。

最高位の神様 お稲荷さん

正一位(しょういちい)とは、神社で与えられる最高位の神の階級です。天長4年(827年)に淳和天皇から「従五位下」を授かり、徐々に昇進し、天慶5年(942年)には「正一位」に昇格しました。

建久5年(1195年)、後鳥羽天皇が「本社勧請の神体には『正一位』の神階を付与すべきである」と許可したため、全国各地の多くの稲荷神社が大小にかかわらず「正一位」を名乗ることができるようになりました。

※正一位の神は、他にもたくさん存在しています。

お稲荷さん=稲荷大神

奈良時代の和銅4年(711年)の初午の日に、「稲荷大神」が稲荷山に降臨しました。これが稲荷山の三つの峰をご神体として崇拝する始まりとされています。

主祭神である「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は、稲の精霊を神格化したもので、五穀や食物を司る八百万の神の中でも代表的な神です。日本書紀では「倉稲魂(うかのみたま)」として記されています。親しみを込めて「お稲荷さん」と呼ばれています。

「宇迦」の名前は、「食(うけ)」と同じく食物を意味します。食物の中心は穀物であり、「稲」はその中心とされています。そのため、五穀豊穣を願う人々からの信仰を集めてきました。古くは、朝廷が雨乞いや五穀豊穣、国の平和を祈願したとされています。

稲荷大神

伏見稲荷大社の記録によると、平安初期には宇迦之御魂大神、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)が祀られていました。弘長三年(1263年)には田中大神(たなかのおおかみ)と四大神(しのおおかみ)が加えられ、合わせて五座とされました。

現在ではこの五座を合わせて「稲荷大神(いなりのかみ、いなりしん)」と呼んでいます。

万般の幸福をもたらす

初めは穀物や農業の神として崇拝されていましたが、信仰が広まるにつれて神徳も広がり、商売繁盛をはじめとするさまざまな幸福をもたらす神として尊ばれるようになりました。

現在では、商売繁盛、産業の発展、家庭の安全、交通安全、芸能の上達など、幅広い信仰を集めています。

山の麓にある本殿は、永享10年(1438年)に山頂にあった稲荷の祠を移して建てられたと伝えられています。

​豪華な楼門

JR稲荷駅前の一の鳥居をくぐり、表参道を進むと立派な門が出迎えてくれます。

門は豊臣秀吉の寄進

天正16年(1588年)、豊臣秀吉は母の大政所が病気を平癒するために伏見稲荷大社に祈願し、万が一それが叶えられれば一万石を寄進すると申し出ました。祈祷が行われると大政所は完全に回復しました。

このことで伏見稲荷大社への信仰をさらに深めた秀吉は、その前後に応仁の乱などで損傷した社殿を修復するために努力しました。現在の門はその時に建てられたものです。神社の門としては最大級の規模です。

門は天正17年(1589年)に豊臣秀吉によって建てられたと伝えられていましたが、伝承と文書の整合性に疑問がありました。しかし、昭和48年に門が解体修理された際に、天正17年の墨書が発見され、「秀吉の母大政所殿の病気平癒祈願が叶えられれば一万石を奉加する」と記されており、伝承が正しかったことが正式に確認されました。

伏見稲荷大社と豊臣秀吉

伏見稲荷大社の神徳は出世や商売繁盛、家庭安全など、現世の幸福に関わるさまざまなものを含んでいます。これらの現世を願う霊験は、豊臣秀吉の明るい感性にぴったり合っていたと考えられます。

豊臣秀吉は稲荷大神に深い敬意を払っており、天正15年(1587)には京都で聚楽第を建てた際に、その邸内に稲荷社を勧請しました。

母の病気平癒祈願の後、秀吉の修復工事によって伏見稲荷大社の社殿の整備が進みました。

その後、天下統一を果たした秀吉は文禄3年(1594)に伏見の古城山に大規模な城郭を建設し、城下町の整備に取り組みました。このため、伏見の町は大きく変貌しました。

伏見稲荷大社の所在地は深草にあるため、伏見築城の直接的な影響は受けませんでした。しかし、周辺に城下町が形成され、多くの大名が集まったことで恩恵を受けたと考えられます。

平和な時代になると、現世への期待を託す稲荷信仰はますます広まり、畿内の中心であった伏見稲荷大社への信仰は全国に広がり、参拝者数も年々増加していきました。

​狐/白狐(びゃっこさん)

お稲荷さんといえば狐。当然伏見稲荷大社の境内にはたくさんの狛狐がいます。また、京阪電車の「伏見稲荷駅」にも愛らしい白い狐の装飾が施されています。

神の使者とされる白狐

平安時代には白い狐を神の使者・眷属とする信仰が広まったそうです。眷属とは(1)親族・一族 (2)従者・家来 (3)仏や菩薩に仕えるものを意味します。

稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があり、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」という当て字がされたと考えられています。

また、稲荷神はもともと穀物・農業の神でした。そのため、穀物を食い荒らすネズミを捕食する狐が稲荷神の使者あるいは眷属と位置付けられたとも言われています。

「お稲荷さん」と狐の関係は?

「稲荷大神様」の使者(眷族)は狐とされています。ただし野山にいる狐ではなく、眷属さまも大神様同様に私たちの目には見えません。そのため白(透明)狐=”びゃっこさん”として尊敬されています。もちろん「稲荷大神様」は狐ではありません。

素敵な昔話も残されています。空海の弟子・真雅僧正の著とされる「稲荷流記」から。

時は平安初期の弘仁年間(810~24)のこと、平安京の北郊、船岡山の麓に、年老いた狐の夫婦が住んでいました。全身に銀の針を並べたような白狐です。

この狐夫婦は、心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていました。しかし、畜生の身であるため、結局その願いを果たすことはできませんでした。そこで、狐夫婦はある日決意し、五匹の子狐を連れて稲荷山に参拝し、「今日より当社の御眷属となり、神威を借りてこの願いを果たそう」と、社前で祈りました。すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神の厳かな託宣が下りました。

「あなたたちの願いを聞き、許す。そうであれば、今後長く当社の仕えとして、参詣の人々や信仰する人々を助け、憐れむべし」こうして、狐夫婦は稲荷山に移り住み、稲荷神の慈悲と信頼に応えるため、日々精進することになりました。オスの狐はオススキ、メスの狐はアコマチという名前を明神から授けられたと伝わっています。

伏見稲荷大社|稲荷勧請

なぜか、江戸時代に「稲荷狐=稲荷神」という誤った情報が広まりました。

江戸時代に入ると稲荷神は商売の神として認知され、流行神として人々に大きな人気を博するようになります。

そして、全国に多くの稲荷神社が建立されるにつれ、なぜか「稲荷狐=使者・眷属」という理解ではなく、「稲荷狐=稲荷神」という誤解が広まってしまいました。

宝物をくわえた狛狐

伏見稲荷大社の境内には、至る所に宝物をくわえた狐の像が置かれています。何をくわえているか探してみるのもおもしろいですね。

・玉(宝珠)/稲荷大神の霊徳の象徴。穀物の倉庫とも言われています。

・鍵/玉(=霊徳)を身につけたい願望の象徴。倉庫の鍵とも言われています。

・稲穂/稲荷神は五穀豊穣

​しるしの杉

商売繁盛や家内安全を象徴する「しるしの杉」は、その家が栄えると信じられている縁起物です。見た目に青々とした杉の葉と陶器でできたかわいらしいお多福が特徴的です。

商売繁盛、家内安全

しるしの杉は、神棚またはその近くに祀られます。神棚がない場合は、玄関や部屋の目線よりも上の東向き、または南向き(北側か西側の壁)に吊るすと良いと言われています。一年間お祀りした後は納札所に返し、新しくお預かりします。

常に目につく場所に置くことで、参拝時の新たな思いを抱くことができるでしょう。

しるしの杉

・しるしの杉の由来

「杉」は、伏見稲荷大社のご神木です。

平安時代には『初午詣(はつうまもうで) 』をした証として「しるしの杉」を頂くことが習わしとなっていました。清少納言の随筆「枕草子」にも登場し、また「福まいり」としても知られています。

初午は、京都の伏見稲荷大社の祭神が、奈良時代の和銅4年(711年)2月の最初の午の日に、稲荷山に祀られたことに由来します。

さらに、平安時代中期から紀州の熊野詣が盛んとなり、その往き帰りには必ず稲荷社に参詣し、稲荷社の杉の小枝、「しるしの杉」をいただいて、身体のどこかにつけることも一般化していました。道中の安全を守護してくれるという信仰が広く定着していたのです。

この「杉」は、時として稲荷大神あるいは稲荷社を象徴しているもののように受けとめられていたようです。

​​千本鳥居

千本鳥居は、本殿の後方にある稲荷山「お山」に続く参道に、朱塗りの鳥居が隙間なく立ち並びトンネル状になっている場所の総称です。

その中でも、奥社奉拝所の手前にある千本鳥居は、神の降臨地である「お山」の入口に当たり、現世から神のおられる世界への関門として多くの鳥居が建てられたと考えられています。鳥居が左右、二筋の参道に立ち並べられた理由は不明だそうです。

奥社奉拝所の手前にある千本鳥居

豊穣を願う朱色

朱色(あけいろ/しゅいろ)は稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。「あけ」という言葉には、赤・明・茜など、明るい希望を感じさせる語感があります。

稲荷の鳥居は社殿と同じく「稲荷塗」といわれ、朱で彩色するのが慣習となっています。朱色は、太陽や炎を連想させるため、古代から魔力に対抗する力があると信じられ、神社仏閣に使われてきました。

また、朱の原材料は水銀=丹で、木材の防腐剤としても昔から使われていたそうです。様々な要因が融合して朱色になったんですね。

集まった信仰の証が千本鳥居

これらの鳥居は、江戸時代以降に参拝者の奉納により建てられはじめました。

鳥居を奉納することによって、願いが「通る」「通った」という語呂合わせから生まれた信仰だとされています。そして、願いが「通る」たびに鳥居を大きなものに変えて奉納する習慣もあるそうです。

その結果、朱色の鳥居がお山の参道全体

千本鳥居

千本鳥居は、本殿の後方にある稲荷山「お山」に続く参道に、朱塗りの鳥居が隙間なく立ち並びトンネル状になっている場所の総称です。

その中でも、奥社奉拝所の手前にある千本鳥居は、神の降臨地である「お山」の入口に当たり、現世から神のおられる世界への関門として多くの鳥居が建てられたと考えられています。鳥居が左右、二筋の参道に立ち並べられた理由は不明だそうです。

レアおみくじ&御朱印

おみくじと御朱印の授与所は別の場所にあります。

おみくじは、六角形の箱を振り、小さな穴からみくじ棒を一本取り出し、棒の端に記された番号を授与所で伝えて、同じ番号の紙製のおみくじを受け取るスタイルです。(200円)

「大大吉」「吉凶相央」「吉凶未分末大吉」?

伏見稲荷大社のおみくじは32番まであります! 運を天に任せて引いてみてください。 「大大吉」が出たら超ラッキー!

問題は、「吉凶相央」「吉凶相半」「吉凶未分末大吉」。どうやら吉か凶か判断できかねるって事みたい。レアおみくじを引いたときは、え~っ!どっちやねん!と突っ込みたくなりますが、こういうのも面白いですね。

伏見稲荷大社のおみくじは、どれを引いても、結構良いことが書いてあるなぁと思います。逆に言うと、誰が引いても思い当たる事が書いてあるとも言えるのですが。

伏見稲荷大社 本社 御朱印

初穂料 300円。

本社(本殿横)以外に、奥社(千本鳥居奥)、御膳谷(稲荷山)でも拝受できます。

​​キツネの絵馬&おもかる石

本殿の東にある、千本鳥居をぬけたところに奥社奉拝所があります。通称「命婦谷」、一般には「奥の院」と呼ばれています。ここに、おもかる石や絵馬奉納所もあります。

奥社奉拝所とは稲荷山を遥拝する場所で、社殿の背後に稲荷山三ケ峰が位置しています。

ユニークで可愛いキツネの絵馬

ユニークなキツネの顔の絵馬は、皆さん個性的な表情にアレンジして願い事をされています。楽しみながら願いが叶いそうですね!

色々な表情が楽しい絵馬

おもかる石で占う

奥社奉拝所、右側奥にあります。この石灯籠の上の石(空輪/くうりん)が、「おもかる石」と呼ばれる試し石です。力持ちの人に有利かもなんて思うのは不謹慎?

占い方

1.最初に願い事をします。

2.石灯籠の上の石(空輪/くうりん)の重さを想像します。

3.空輪を両手で持ち上げます。

結果

・予想よりも軽く感じた→ あなたの願いは叶うでしょう。

・予想よりも重く感じた→ 願いが叶うのは難しいでしょう。

​神秘的なエリア 稲荷山を巡る

稲荷山は昔から特別な場所とされており、小祠やお塚などが集まり、不思議な力を感じさせるエリアです。山巡りの途中には休憩できるお茶屋もあります。

七つの神蹟

稲荷山の七つの神蹟地では、神々が降臨されたと伝えられており、その場所には親塚が造営されています。時間と体力が許す限り、山の上まで進んでみることをお勧めします。

1.一ノ峰(上之社神蹟)/大宮能売大神、末廣大神

2.二ノ峰(中之社神蹟)/猿田彦、青木大神

3.三ノ峰(下之社神蹟)/宇迦之御魂、白菊大神

4.荒神峰(田中社神蹟)/権太夫大神

5.間ノ峰(荷田社神蹟)/伊勢大神

6.御膳谷遙拝所/かつて神供を行った場所

7.御劔社(長者社神蹟)/剱石を神体とする、加茂玉依姫

印象的な末社

熊鷹社(くまたかしゃ)では、一発勝負をする際に運気が上がると信じられています。また、眼力社(がんりきしゃ)では、眼の病を治したり、商売繁盛を願うことができるとされています。

神秘的な雰囲気を醸し出すお塚が大小さまざまな場所に設置されており、山全体に霊気を感じることができます。

稲荷山の参拝コースは体力に自信のない方でも歩きやすい格好で、一周コースでは左回りルートをお勧めします。

伏見稲荷大社とお稲荷さんのまとめ

  • 稲荷神信仰の歴史と進化:お稲荷さんは元々穀物や農業の神として信仰されていたが、商売繁盛やさまざまな幸福をもたらす神としても崇拝されるようになったりました。
  • 正一位の神階:正一位は神社で与えられる最高位の神の階級で、淳和天皇の時代から始まり、天慶5年には「正一位」に昇格しました。
  • 稲荷大神と五座の神々:稲荷大神の主祭神である宇迦之御魂大神は稲の精霊を神格化したもので、五穀豊穣を司る神として崇拝されています。他にも佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神が祀られています。
  • 伏見稲荷大社の歴史と豊臣秀吉との関係:伏見稲荷大社の社殿は豊臣秀吉による修復が行われました。
    秀吉は母の病気平癒を祈願し、信仰を深めた後に社殿の修復に尽力しました。
  • 狐(白狐)の役割:お稲荷さんの使者として白狐が信仰されています。狛狐の像が境内に多くあり、さまざまな宝物をくわえています。
  • しるしの杉と千本鳥居:しるしの杉は商売繁盛や家内安全の象徴で、初午詣の際に授かるものです。
    千本鳥居は参道に朱塗りの鳥居が並び、神の降臨地へ続く象徴的な場所となっています。
  • おみくじと御朱印:伏見稲荷大社のおみくじには特有の種類があり、御朱印も人気があります。
  • 稲荷山とその神蹟:稲荷山には七つの神蹟があり、各神々が降臨された場所とされています。
    熊鷹社や眼力社などの末社も存在し、特定の願い事に応えると信じられてます。

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