毘沙門天様はどのような神様なのでしょうか?由来やご利益 ご真言

毘沙門天様とは?外見の特徴や識別方法は?
「聞いたことがある!」そのような方もいると思います。
「びしゃもんてん?!どんな字書くの?」という方もいるかもしれません。

毘沙門天は、戦国時代の武将、上杉謙信によって祭られており、武神以外の側面もあるため、今でも多くの寺社仏閣で祀られています。

そこで、この毘沙門天の意味や起源、読み方、およびご利益についてわかりやすく解説します。

外見の特徴や見分け方、ご真言、そして祭られている寺院はどこかも探求していきましょう。

この記事のポイント
  • 毘沙門天は七福神の一員であり、四天王のひとりです。武神として、また仏教の教えや信者を守護する守護神として知られています。
  • インド神話の神ヴァイシュラヴァナ(ヒンドゥー教ではクベーラ)に由来し、インド、中国、日本を経て仏教に取り入れられました。
  • 日本での信仰は、平安時代に伝わり、鞍馬寺を中心に広まりました。戦国時代の武将、上杉謙信が熱心に信仰していたことから、戦国時代に広く普及したようです。
  • ご利益は厄払い、勝負運の向上、金運アップ、商売繁盛など、特に勝負運の向上が有名です。
  • 武将のような服装、右手に宝棒、左手に宝塔を持ち、足元に邪鬼を踏みつけている場合もあります。
  • 祀られている寺院は、花巻市の成島毘沙門堂、神楽坂の善國寺、長岡市の安禅寺、京都の鞍馬寺などがあります。全国の七福神を祀る寺社仏閣でも祀られています。

毘沙門天様についての意味と由来

毘沙門天は七福神の一員であり、四天王の中のひとりです。

四天王の仏である毘沙門天は、七福神の中で唯一の武神としても知られています。
毘沙門天は戦いと勝負の神であり、同時に仏教の教えや信者を守護する守護神でもあります。
そのため、非常に人気があります。

毘沙門天は四天王としての側面も持っており、仏教を守護する護法善神としても力を発揮します。
これにより、仏教徒にとっては重要な神とされています。

仏教の神々は一般的に、インドと中国を経由して広まっています。
そのため、毘沙門天もインドや中国で神として崇拝されている可能性が高いです。
ただし、インドでは名前や姿が異なることがよくあります。

毘沙門天の由来については、彼はインド神話において神の息子であるヴァイシュラヴァナとも呼ばれ、ヒンドゥー教ではクベーラとしても知られています。
クベーラはラークシャサ族の王であり、ラーヴァナの異母兄弟であり、ヤクシャ族の王でもありました。彼は財宝の守護神であり、北方の守護神の地位を持っています。

現代のヒンドゥー教では、毘沙門天が三柱のシヴァ神やブラフマー神と親しい関係にあるとされています。

中国でも、武神として崇拝され、四天王のひとつとしても扱われています。

また、彼の名前であるヴァイシュラヴァナは「よく聞く所の者」を指す意味があり、中国では毘沙門天ではなく多聞天として呼ばれることがありました。

この名前は日本にも伝わり、日本では四天王のひとつとして彼を多聞天と呼ぶことが一般的です。

毘沙門天は平安時代に日本に伝わり、鞍馬寺を中心に広がりました。
この時代には既に恵比寿や大黒天も広まっており、毘沙門天はこれらの神々とともに一気に民間信仰に広まりました。

現代でも七福神の一員として人気があり、戦国時代の武将である上杉謙信が毘沙門天を熱心に信仰していたことも広まっています。
戦国時代が文学、漫画、ドラマ、ゲームなどで再び注目されている中、毘沙門天の知名度も上昇しています。

私自身も、子供の頃に戦国時代を扱ったゲームで毘沙門天の名前に触れ、興味を持った経験があります。現代でも彼の名前は広く知られ、未来においてもその名前が忘れ去られることはないでしょう。

毘沙門天様の読み方

毘沙門天の読み方は「びしゃもんてん」です。

この神様は非常に知名度が高く、ほぼ100%の確率で単語帳に登録されており、予測変換で表示される可能性も高いです。

別名の多聞天も、変換時に簡単に表示されます。

ただし、「ヴァイシュラヴァナ」や「クベーラ」といった単語は、通常の変換ではほとんど登録されていないため、カタカナ変換を使用してください。

単語帳に登録されているかどうかは、ある程度の知名度があるかどうかの簡易的な指標です。したがって、普通に変換できる言葉は、ある程度知名度があると考えられます。

どのようなご利益(ごりやく)があるの?

インド神話では、ヒンドゥー教においてヴァイシュラヴァナやクベーラとして知られていた神様は、北方の守護神や財宝を守る神としての側面が強調されていました。

しかし、日本では仏教において四天王や武神、そして勝負事の神としての側面が強調されています。

一般的に、毘沙門天のご利益としては厄払い、勝負運の向上、金運アップ、商売繁盛などが挙げられますが、その中でも特に勝負運の向上が有名です。

上杉謙信の毘沙門天への信仰から、多くの人が勝負に強いイメージを抱くことでしょう。

戦国時代には毘沙門天への祈願が非常に広まり、上杉謙信のライバルである武田信玄も戦勝祈願を行ったと言われています。
豊臣秀吉や徳川家康もまた、毘沙門天に戦勝祈願をしたとされています。

一説には、聖徳太子も毘沙門天に戦勝祈願をしたとされていますが、毘沙門天が日本に入ってきたのは平安時代であるため、この話には疑問が呈されています。

また、七福神は幅広い福をもたらす神様たちが集まっており、その中で毘沙門天は金運アップの効果をインドの神話から引き継いでいると考えられます。

外見の特徴や見分ける方法は?

他の七福神と比較してみると、「武将のような服装を身にまとった神様」で簡単に見分けがつきます。

デフォルメされた七福神たちでも、一人だけがキリッとした表情で武器のようなものを手にしているため、下段の左から2番目が毘沙門天であることが一目で分かります。

仏像としての特徴では、右手に宝棒を持ち、左手に宝塔を持つことが一般的です。これが見分けるポイントとなります。

また、仏像によっては足元に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている場合もあり、これが非常に分かりやすい特徴です。

多聞天を見つける場合は、北方を守護する神様であるため、北に位置しているかどうかが重要なポイントとなります。宝棒と宝塔を持っているかどうかも重要な要素となります。

たまに宝棒ではなく三叉戟を持っていることもありますが、ほとんどの場合、毘沙門天や多聞天の仏像には宝塔が備わっていますので、この宝塔の有無で見分けることも確実です。

毘沙門天様のご真言

毘沙門天のご真言は「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」または「オン・シチロクリ・ソワカ」となります。

これはゲームや小説、漫画、ドラマで上杉謙信が唱える言葉でもあります。そのいずれかを経験したことがある人は、このご真言を聞いたことがあるかもしれません。

筆者も子供の頃にプレイしたゲームで、上杉謙信が「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」と口にしたのをなんとなく覚えています。

祀られている寺院は?

毘沙門天は長い間愛されてきた神様であり、そのために本尊として祀られている寺社は多岐にわたります。

有名なものとしては、花巻市にある成島毘沙門堂や神楽坂の善國寺、正月にのみ開帳される長岡市の安禅寺、そして京都の鞍馬寺などが挙げられます。

京都では、鞍馬寺を中心に毘沙門天信仰が広まったという逸話があり、それに伴って毘沙門天本尊を祀る寺社も多く存在します。

もしも特定の本尊にこだわりがない場合は、七福神を祀る寺社仏閣を訪れることをおすすめします。

毘沙門天のまとめ

毘沙門天は、日本国内で広く信仰される七福神のひとりです。

四天王のひとりとしても知られています。武神としての側面や仏教の教えや信者を守護する守護神としても有名です。
特に戦国時代の武将、上杉謙信が熱心に進行していたことから、その人気は現代でも続いています。

毘沙門天とは?
毘沙門天は、インド神話の神ヴァイシュラヴァナに由来し、ヒンドゥー教ではクベーラとしても知られています。
インド、中国、日本を経て仏教に取り入れられ、日本では平安時代に伝わり、鞍馬寺を中心に広まりました。

毘沙門天のご利益(ごりやく)は?
毘沙門天は、厄払い、勝負運の向上、金運アップ、商売繁盛などのご利益があります。
特に勝負運の向上が有名で、戦国時代には多くの武将が毘沙門天に戦勝祈願を行ったと言われています。

毘沙門天の見分け方
毘沙門天の特徴的な外見として、武将のような服装を身にまとい、右手に宝棒、左手に宝塔を持つ姿が挙げられます。
また、足元に邪鬼を踏みつけている場合もあります。これらの特徴により、他の神々と容易に見分けることができます。

祀られている寺院
毘沙門天は全国の多くの寺院で祀られています。
代表的な寺院として、花巻市の成島毘沙門堂、神楽坂の善國寺、長岡市の安禅寺、京都の鞍馬寺などがあります。また、七福神を祀る寺社仏閣でも広く見られます。

毘沙門天は、武神としての力強い側面と、仏教の守護神としての深い信仰心を持つ神様です。
その歴史やご利益、特徴的な外見について理解を深めることで、より身近に感じることができるでしょう。
興味を持たれた方は、ぜひ毘沙門天を祀る寺院を訪れてみてください。

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