「節分」とは、福を呼び寄せ、鬼を払う行事で、豆まきが行われます。
この風習は親しみ深いものですが、その本来の意味や正確な方法については多くの人が把握していないかもしれません。
節分をどのように迎え、どのように過ごすべきかを知り、2024年の節分を有意義に過ごしましょう。
この記事では、以下の内容に焦点を当てています。
- 節分の起源や歴史
- 豆まきの適切な方法
- 節分に食べるべきもの
これにより、節分に関する知識を深めることができます。
節分とは?
節分は2024年において、2月3日(土)に行われます。
太陰太陽暦では元日を最も近い新月とし、立春の前日に節分の儀式が行われる習慣が広まりました。
これは新年の始まりを示し、立春に関連付けられています。
では、節分とは具体的にどのような日なのでしょうか。
一般的には邪気払いや無病息災を祈る行事とされています。
季節の変わり目は邪気が入りやすいと考えられ、特に2月上旬は寒さが残るため、新年を迎える際に邪気を祓い清め、一年間の無病息災を願うために追儺(ついな)と呼ばれる行事が行われてきました。
この習慣はもともと中国から伝わりましたが、平安時代には大晦日に宮中で追儺が行われるようになりました。
これは陰陽師が大晦日にやってきて厄や災難を祓い清める儀式で、疫鬼などを追い払うものでした。
追儺は宮中行事としては次第に衰退し、江戸時代には行われなくなりましたが、何世紀か前から、豆をまいて鬼を払い、無病息災を願う「節分」として庶民の間で広まり、定着していきました。
節分のイメージが強く結びついているのは2月3日ですが、年によっては2月2日や4日になることもあり、日付が固定されていないことも特徴です。
例えば、2021年は1897年以来124年ぶりに2月2日が節分でした。1984年は2月4日で、2021年は37年ぶりに2月3日以外が節分の日となりました。
これは4年ごとに訪れるうるう年に関連しています。
節分という言葉はもともと、季節を区切るという概念であり、本来は二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬の前日」であるすべてを指しています。
二十四節気は天体の動きに基づいており、太陽と地球の相対位置によって決まります。立春は太陽黄径が315度となる日を指します。
しかし、太陽と地球の軌道周期が1年とぴったり合わないため、少しずつずれが生じています。
このずれを修正するために、4年ごとに1日を追加するうるう年が設定されています。
将来的には、節分はうるう年の翌年に2月2日になるようです。例えば、2024年はうるう年なので、翌年の2025年の節分は2月2日になります。
豆をまく理由は何でしょう?!
「節分」は邪気を払い、無病息災を願う行事であるが、ではなぜ豆をまくのでしょうか。
日本人は古くから言霊の存在を信じ、言葉と霊力に意味を与え、それを生活に組み込んでました。
豆まきが始まったのは室町時代と言われているが、豆=魔目(鬼の目)を滅ぼすという説があります。
また、豆は五穀(米、麦、ヒエ、アワ、豆)の象徴であり、農耕民族である日本人は、これらに神が宿ると信じてきました。
節分に使用される豆は、前日に炒って枡に入れ、神棚に供えられるのが正式です。
できればお祓いを行うと、なお良いとされています。
豆が神聖なものだと感じれば、その行為も理解できるでしょう。
基本的には大豆が使われますが、炒り豆にするのは、後で芽が出ないようにするためです。
もし芽が出てしまったら「凶事が起こる」と昔の人は恐れていました。
それを防ぐために「豆を真っ黒になるまで炒り続けた」という逸話もあります。
また、「射る=炒る」といった語呂合わせからくる説もあるようです。
「まめ」は健康を意味することもあるそうです。
一方で、豆まきには炒った大豆を使わない地域もあります。
北日本の新潟県、福島県、北海道や、鹿児島、宮崎などの産地では、豆まきには主に落花生が使われます。
雪深い地域では、外にまかれた豆が雪に埋もれ、拾い上げるのが難しいため、落花生が選ばれやすいという理由があるようです。
戦後、新潟県に大量の落花生が輸入されたことも、地域に根付く理由となりました。
同じ北日本でも山形県では、地元の名物「でん六豆」が圧倒的に使用されるようです。
豆まきの方法
節分の際、どのようにして豆をまくべきでしょうか?
実は、しっかりとした手順が存在します。
本来、豆まきは家長の役割とされていますが、最近では年男、年女、または厄年の人が担当することが一般的になってきました。
以下では、正しい豆まきの手順について、順を追って見ていきましょう。
1)前日までに、炒った福豆を枡に入れ、神棚に供えておきます。
神棚がない場合は、白い紙の上に福豆を載せ、視線の高い場所に供えておけば
問題ありません。
2)節分当日、鬼は深夜(丑寅の刻)に現れるとされているので、豆まきは夜に行う
のがベストです。
午後8時から10時くらいの時間帯が適しています。
福豆を入れた枡は左手に持ち、胸の辺りで保持し、右手で下手投げのように
まくのが正式だとされています。
まず、玄関や窓、戸口などを開け放ち、奥の部屋から順番に、
外に向かって「鬼は外!」と声をかけながら豆をまきます。
まき終わったら、鬼を外に追い出し、福を逃さないようにするために、
すぐに戸締りすることをお忘れなく。
3)次に、「福は内!」と部屋の中に向かって豆をまきます。
最後に玄関で行います。口上や順番、方角などは地域によって異なるので、
後述をご参考に。
4)豆まきが終わったら、1年の厄払いを祈り、自分の年齢よりも1個多く豆を
食べます。
この豆は「年取り豆」と呼ばれ、家族全員で食べるのが良いです。
豆が苦手な場合や、数が多すぎる場合は、「福茶」を飲むと良いです。
これは福豆を吉数の3粒入れ、更に昆布や塩昆布、梅干しなどを加えたお茶で、
ポットに熱湯を注ぐだけで手軽に作れます。おすすめです。
これで豆まきは終了です。新しい1年が素晴らしいものになること間違いありません。
地域ごとの節分の違い
各地域ごとに節分に独自の特徴がある 節分は無病息災を願う季節の行事ですが、地域によっては豆まきの掛け声や慣習において様々な差異が見られます。
それぞれの方法とその意味について、一つずつ詳しく見ていきましょう。
掛け声
千葉県成田山新勝寺
節分行事で著名な寺院ですが、掛け声は「福は内」のみ。
祀っている不動明王が常に鬼を追い払っているため、「鬼は外」は不要とされています。
群馬県の鬼石地区
「福は内」「鬼は内」と掛け声をかけながら豆をまきます。
街が鬼の投げた石からできたという伝説から、優しい考え方で良い鬼も呼び込むとされています。同様の掛け声は、鬼を祀る神社でも使用されます。
福島県の二本松市
「鬼、外」という掛け声が特徴的です。
これは領主の名が丹羽さんで、韻が「おにわそと」となるのを避けるためだと言われています。
伊勢志摩地域と紀伊半島
「福は内」「神は内」という掛け声が用いられます。
地域を統治していた領主が九鬼(くき)という名前だったことから、「鬼」は使われないというのが理由です。
昔から忖度があったと考えられています。
毎年の節分神事では、「鬼は外」「福は内」と唱えた後、付き添い人が「ごもっともさま」と合いの手を加え、豆がまかれます。
魔除けや厄除け
柊鰯(ひいらぎいわし)
魔除けや厄除けとして用いられるのが、柊鰯(ひいらぎいわし)です。
焼いた鰯の頭に柊の小枝を指し挿したもので、トゲトゲした柊の葉は触るとヒリヒリと疼きます。
いくら鬼でも目に刺されたら手に負えません。さらに、鬼は鰯が焼かれた際の煙が苦手だといいます。
門口や玄関に小枝を指せば、最強の鬼よけとなり、鬼は絶対に近づきません。
この風習は主に大阪や京都など、関西で行われています。瀬戸内西部地域では、柊の代わりにオニグイの枝を使うこともあります。
また、魔除けの意味をこめて焼いた鰯を食べることも良いとされています。
目籠
軒先の高い場所に、竹竿を使用して目籠(目の粗いカゴ)を吊るすことで、静岡県の中西部で行われる「鬼おどし」とも呼ばれる風習があります。
千葉県では逆さまに吊るした目籠を、鰯の頭を大豆の枝に刺したり、柊やグミの枝を束ねて門口に刺して鬼を遠ざける方法も見られます。
岐阜県の恵那地方では、割り箸に刺した鰯の頭としっぽ、柊またはアセビの枝を目籠に挿し、玄関に置く風習も存在します。
護符
岐阜県下呂市竹原地区では、鬼の顔を描いたお札を戸口や玄関に貼り、鬼の侵入を防ぐ「鬼めくり」という風習が今も残っています。
短冊状の紙には鬼の顔、13の点、星を一筆で描くなどが描かれます。
岐阜県美濃加茂市周辺には、「鬼の十三月」という風習もあります。
戸口や玄関に十三月と書かれたお札を貼ると、鬼が「十三月?」と考え込み、その隙間に夜が更けてしまうことを狙ったものだと言われています。鬼もきっと驚いたことでしょう。
厄払い
鬼の豆もらい
香川県さぬき市志度では、地域の子供たちが特異な風習を持っています。
近隣の商店などを訪れ、地元で「鬼の豆」と呼ばれるお菓子をもらいに行くのです。
地元では、この「鬼の豆もらい」は、平賀源内が始めたと言い伝えられているそうです。
交差点に豆をすてる
交差点に豆を捨てるという独自の風習もあります。
厄年の人が交差点に年の数だけ豆と靴を捨て、誰にも見られずに振り向かずに家に帰ることができれば、厄落としができるとされています。
愛媛県の愛南町、一本松地域では、節分の翌日に白い紙に包まれた豆と靴が置かれた交差点が現れるそうです。
変わらけ割
かわらけ割と呼ばれる風習もあるようです。釉をかけていない素焼き土器(カワラケ)に、自分の厄をのりうつらせた人形に見立てて破砕することで、厄を祓う儀式です。
鬼が代わりにやってくれるとされ、愛媛県香積寺の節分行事としても知られています。
節分お化け
江戸時代から続く節分お化けも、特有の風習です。
主に京都で行われ、節分の夜に変装していつもとは異なる服装で社寺を参拝します。
変装する理由には諸説ありますが、鬼をやり過ごすためだという説が有力です。
現在はイベント的な要素が強まり、特に京都の花街で行われる節分お化けは、冬の観光の一環となっています。
節分の食べ物
「節分には豆を食べる」が一般的なイメージですが、地域ごとに異なる習慣があります。どのような食べ物が節分に関連しているのでしょうか。
恵方巻き
節分の定番となった恵方巻きは、大阪がその発祥地とされています。
節分に恵方を向いて、願い事をしながら太巻きを静かに最後まで食べる習慣です。
太巻きの具は、七福神に願掛けをするとともに、福を呼び込む意味も込めて、七つの具を入れることが良いとされています。
太巻きは、金棒を忘れていったという見立てから、食べることで鬼を退治するという意味もあるようです。2023年の恵方は「南南東」でした。
こんにゃく
食物繊維が豊富なこんにゃくは、体内をきれいにする食べ物として、昔から大晦日や節分などの特別な日に食べられてきました。
四国では節分に食べるこんにゃくを「砂下ろし」と呼び、これは体内の毒素を排出するという意味があるとされています。
けんちん汁
大根やにんじん、ごぼうなどがたくさん入ったけんちん汁。
もともとは精進料理で、邪気を払う節分の行事に適していたことから、食べられるようになりました。主に関東の一部地域でこの習慣が残っているとされています。
節分そば
あまり馴染みはないですが、江戸時代には「年越しそば」として知られ、全国的に広まっていたとされています。
諸説ありますが、麺が切れやすく厄を落とせるとされ、縁起を担ぐために節分に食べられていたようです。
島根県の出雲地方や長野県など、名産地では今も節分にそばを食べる習慣が残っています。
くじら
山口県は捕鯨基地が多く、くじらが郷土料理として根付いていることから、「大きいものを食べると縁起がよい」という理由で節分に食べられています。
くじらには「志を大きく」「大きく成長するように」との願いも込められているそうです。
特にくじら肉の中でも最上級部位である「尾羽毛(おばけ)」を刺身で食べることが特徴的です。
麦飯
麦の耕作地では、感謝の意をこめて収穫された麦飯が神仏に供えられることが多かったと言います。
これは正月や節分に行われ、特に節分には鰯と一緒に麦飯を食べたとされています。その伝統から、今でも麦飯を食べる習慣が残っているようです。
節分のまとめ
一般的に「節分」と言っても、地域や家庭ごとにそれぞれの特色があります。
しかし、決まりきった形に縛られず、自由に楽しむ「節分」が新しい常識になるかもしれません。
この日は事前にお面などを用意して、家族全員で楽しく元気に豆まきをするのがおすすめです。
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