多聞天は知っていますか?ご利益は?四天王?
多聞天は、中央アジアや中国などの海外で尊崇を受ける軍神として広く知られていますが、神聖な存在や仏像についてくわしく知らない方にとっては、この神が何者であるか理解するのは難しいでしょう。
そこで、今回は多聞天の神性やご利益、よみかた、そして四天王との関係や毘沙門天との相違について述べていきます。
多聞天が未知である一方で、毘沙門天には知識があるという方にも興味深い内容となっています。
多聞天のご利益(ごりやく)
多聞天は戦神として注目を浴びることが一般的ですが、インドでは富や財宝を守る神として崇められ、そのご利益にはその側面も強く表れています。
戦いにまつわる「戦勝祈願」から、「商売繁盛」や「金運上昇」といった財宝にまつわる神としての利益も具体的に描かれています。
興味深いことに、この多聞天は北方を護る神であり、持国天、広目天、増長天と結びつき、四方を守る四天王の一翼を担っています。
さらに、仏教の教えや仏法を守る守護神として、「天部」というカテゴリーに属しています。
多聞天の属する仏教の天部について
仏教の仏像は実際にはさまざまな種類があり、その中で天部も重要なカテゴリーの一つです。
仏像は通常、如来、菩薩、明王、天部の四つに分類されます。
如来は真に悟りを開いた存在を指し、菩薩は悟りを得るために修行している存在であり、明王は密教に由来し、如来の化身であり邪悪を制し正しい道を示す存在です。
一方で、天部は主にインドの神話から取り込まれた神々が中心で、煩悩や邪気を払い、仏教界を守る神々です。
そのため、各寺院では天部に属する仏像が門の入り口に配置されることが一般的であり、運慶・快慶によって作られた有名な金剛力士像もこの天部に所属しています。
なお、天部に属する神々は四天王や金剛力士像以外にも、八方天、十二神将、二十八部衆、八大龍王などが含まれます。
基本的に、これらの神々は方角や菩薩、如来を守護する存在であり、天部に属する神々は何かを守る役割を果たすと考えられています。
多聞天 よみかた
多聞天のよみかたは「たもんてん」です。
多聞天は四天王の一員であり、多くの寺院で崇拝されています。その名前を聞いたことがある人も多いでしょう。
なお、残りの四天王は持国天が「じこくてん」、広目天が「こうもくてん」、増長天が「ぞうちょうてん」と読まれます。
これらの四天王は日本人にとって広く知られており、スマートフォンやパソコンのATOKにも通常のように登録されている単語です。
そのため、簡単に一発変換できる単語となっています。
四天王に関する情報
四天王は四方を守る存在として広く親しまれていますが、この四天王が保護する対象も存在します。
その中でも特に有名なのが帝釈天ですが、多聞天が毘沙門天として改められた部分が非常に有名で、帝釈天については理解が難しいと感じる人も多いでしょう。
帝釈天は、梵天が由来であり、インド神話における神インドラに対応する存在です。
仏法の守護神としては最高峰であり、帝釈天を守護する存在が四天王でした。
四天王という言葉は、昔の漫画家やゲーム製作者、アニメ製作者に好まれ、そちらで広く登場することで、この言葉が一般的かつ通用するものとなりました。
実は、元々は帝釈天を守る四方を守護する神々を指す言葉だったのです。
多聞天と毘沙門天の違いについて
多聞天は非常に人気のある神様であり、七福神の一つとしても毘沙門天としても崇拝されています。
これらの多聞天と毘沙門天は同一の神様であり、多聞天は主に四天王として呼ばれる際に使用される名前で、単独で崇拝されるか、四天王としては呼ばれないときに毘沙門天として言及されます。
多聞天は四天王のなかでも最も強力な武神と見なされ、戦国時代の日本では特に人気がありました。
特に上杉謙信は多聞天を非常に信仰しており、この事実は現代の日本でもよく知られています。
戦国時代の大名や上杉謙信に興味を抱く人々は現代でも多く、その興味から毘沙門天について学ぶことがあるでしょう。上杉謙信は毘沙門天を信仰していたことは有名です。
しかし、毘沙門天を調査する人がいても、そこから多聞天や四天王、帝釈天にまで探求する人はあまり多くないと感じられます。
そのため、四天王の中で特に多聞天(または毘沙門天)が知名度が高く、他の神々への関心がそれほど広まっていないような状態が見受けられます。
多聞天の仏像について
四天王は数多くの寺に祀られていますが、その仏像には様々なバリエーションが存在し、具体的な形状を確定することは難しいです。
代表的なものとして、仏教の開祖である仏陀の遺骨が納められた「塔」や邪気を払うための「金剛鉾」、仏敵を制する「宝棒」などがあげられます。
武神としての姿を際立たせるために「甲冑」を身にまとう仏像も基本的なスタイルとして見られます。
また、邪気を払う象徴として、鬼を踏み潰す姿を表現した仏像も一般的です。
これらの仏像は様々なスタイルで表現されていますが、共通しているのは四方を守り、帝釈天を守護し邪気を退けるという目的です。
そのため、仏像はその由来に基づいた特定の形状や道具を備えています。
多聞天と四天王
多聞天は帝釈天の部下であり、四天王は帝釈天の指揮のもと、四方を護る役割を果たしています。
仏教の宇宙観では、須弥山と呼ばれる山が中心にあり、その頂上には極楽浄土に近いとされる城に帝釈天がいます。四天王は須弥山の四方を守護する使命を担っているとされています。
四天王が守る方角は、持国天が東、増長天が南、広目天が西、多聞天が北となっています。これらの方角を覚えておくと便利です。
多聞天は北の守護神です。
ちなみに、多聞天には眷属として夜叉や羅刹が存在し、数が5000もいると伝えられています。そのうちの頂点に立つのが「八大夜叉大将」で、毘沙門天として祀られるお寺では、「八大夜叉大将」が祀られることもあります。
また、毘沙門天の妻とされる「吉祥天」とセットで祀られることもあります。
多聞天を祀る有名な寺院はどこ?
多聞天は毘沙門天として、さまざまな場所で崇拝されており、いくつかの著名な寺院が存在します。
その中でも特に有名なのが京都の鞍馬寺です。
鞍馬寺の毘沙門天の仏像は国宝に指定されており、知名度的には非常に高いとされています。
他にも、京都の清凉寺にある兜跋(とばつ)毘沙門天の仏像や、奈良県の法隆寺金堂にある毘沙門天の仏像、和歌山県の高野山にある不動明王と対になっている仏像も有名です。
多聞天のまとめ
今回は多聞天に焦点を当て、その神様についてご紹介しました。
多聞天が四天王の時の呼び名で、毘沙門天は単独で祀られる際に使用される名前であるというルールについては、知らない方も多いかもしれません。
この情報はちょっとしたトリビアとしても利用できますので、神様や仏様の世界が複雑で理解しづらいと感じる方でも、この部分だけは覚えていただければ幸いです。
- 多聞天は、戦神や富と財宝を守る神として崇められ、四天王の一員として北方を護る存在です。仏教の守護神として、持国天、広目天、増長天と共に四方を守り、仏法を守護しています。
- 多聞天は「たもんてん」と読み、毘沙門天としても知られています。四天王の一員として呼ばれる際には多聞天、単独で崇拝される際には毘沙門天と呼ばれることが一般的です。
- 四天王の仏像は各寺院で見られ、持国天、増長天、広目天と共に須弥山を護る役割を担っています。これらの仏像は、仏教界を守護するための象徴的な存在として、邪気を払う役割を果たしています。
- 多聞天を祀る有名な寺院には、京都の鞍馬寺、清凉寺、奈良県の法隆寺金堂、和歌山県の高野山などがあり、それぞれが重要な文化財として知られています。
- 多聞天は戦国時代にも人気があり、特に上杉謙信によって崇拝されていました。これらの歴史的背景も、多聞天の魅力をさらに深める要素となっています。
※上杉謙信は毘沙門天を信仰していたことが有名です。
このまとめが、読者にとって多聞天についての理解を深める助けとなることを願っています。
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