恵比寿様とは何の神様か?大黒様との祀り方など解説します。
恵比寿様とは商売繁盛の神様として十日えびすなどで有名な神様です。
七福神の一柱でもあり、「えべっさん」「えびっさん」の愛称でも知られ、日本人には馴染みの深い神様ですが、恵比寿様はそもそもどんな神様かをご存知でしょうか?
恵比寿様の由来と意味
恵比寿様は七福神の一員で、「えべっさん」または「えびっさん」として親しまれています。
他の七福神がインドのヒンドゥー教や道教の神様と結びついているのに対し、恵比寿様は純粋な日本の神様であり、そのためにより広く受け入れられています。
古くから漁業の神様として崇拝されてきた恵比寿様は、「恵比寿」とも「蛭子」とも表記されます。
後者の「蛭子」は「ヒルコ」とも読まれ、古事記によれば、天照大神や月夜見に次いで生まれた神様で、伊邪那岐と伊邪那美の子供とされています。
古事記によれば、3歳になっても立てないとされた恵比寿様は、天磐櫲樟船に捨てられました。
流れ着いた場所で西宮神社のご祭神となり、えびす信仰と習合して、今の恵比寿様となったとされています。
恵比寿様の由来には大きく3つの説があります。
一つ目は、日本の総氏神であり太陽神である最高神アマテラスオオミカミの兄弟神という説です。
二つ目は、恵比寿様=蛭子様であり、蛭子様と書いて「えびす様」と読みます。ヒルコ神は、日本神話で中心的な役割をするアマテラスオオミカミやスサノオノミコトを生んだイザナギとイザナミの間に生まれた神様です。
三つ目は、事代主神(コトシロヌシ)という神様で、日本で最初に魚釣りをしていた神様とされています。
また、神仏習合の一例として、恵比寿様は蛭子だけでなく、事代主神や少名比古那神、火々出見命などとも結びついています。しかし、広く知られているのは蛭子や事代主神との習合です。
恵比寿信仰の特徴
恵比寿様の信仰には「えびす信仰」があります。これは、「砂浜などに打ち上げられた漂着物を神聖なものとみなす」という信仰です。
海から漂流した物は福をもたらす神聖なものと考えられ、これが蛭子や事代主と結びついて、現在の恵比寿様になったと考えられています。
恵比寿様は日本独自の神様であり、古くから信仰されています。
日本においては大黒天が広まると、恵比寿様とともに祀られ、一緒に祈りが捧げられることが増えました。
事代主神とされる大国主の子どもであるため、恵比寿様と大黒天は実質的に親子と見なされ、セットで扱われることが多いようです。
恵比寿様の発音と表記
恵比寿様の発音は「えびす」ですが、親しみのある呼び名として「えべっさん」や「えびっさん」とも呼ばれています。ですので、これらの呼び名も覚えておくと良いでしょう。
ただし、恵比寿様を漢字変換すると「蛭子」や「戎」や「恵比須」や「恵美須」などが出てくることがあり、表記が異なるため、正確に覚えておく必要があります。
漢字変換の例として「胡」や「蝦夷」も「えびす」と読まれます。七福神は一般的に知られている神様のため、どの機種でも漢字変換は問題なく行えるでしょう。
恵比寿様のご利益
恵比寿様は大漁満足の象徴として知られていますが、それに加えて航海安全、五穀豊穣、商売繁盛、学業成就、歌舞音曲、開運招福などのご利益があります。
そのため、商売に携わる人たちにとっては必須の神様とされています。
恵比寿様と大黒様の関係
恵比寿様と大黒様の関係は、習合した神様同士が親子の絆を持っているという要素が重要です。
恵比寿様と結びついた事代主神、および大黒様と関連する大国主は親子関係にあり、それが恵比寿様と大黒様が親子であるという考え方につながります。
このため、古くから彼らは一緒に崇められてきた可能性があります。
恵比寿様と大黒様の信仰の歴史
沿岸部で信仰される福をもたらす「えびす」を祀る兵庫県西宮市の西宮神社や、大阪府浪速区の今宮戎神社は活気のある市の近くにありました。
また、国内海外との貿易の海路にあるそれらの神社は航海安全、商売繁盛の神として、市場だけでなく多くの商人が進行するようになります。
そういったことから、恵比寿様を市場の守護神、市神という神格もあると考えられるようになり、恵比寿様と言えば商売繁盛の神様と言うイメージがつくようになります。
平安時代からこれらの市場の神としての恵比寿様は見られ、鎌倉時代には鶴岡八幡宮の境内に恵比寿様を市の神として祀ったことも見られ、すでに商売繁盛の神様として信仰が広がっているのが見られます。
また、恵比寿様は内陸地域においては田んぼの神様、五穀豊穣の神様として信仰され日本各地で信仰されるようになりました。
そして、室町時代には恵比寿様の信仰と、恵比寿様の親である大国主命と同一視される大黒天の信仰がつながり、恵比寿様と大黒様が一緒に祀られるようになったとされます。
恵比寿講と十日えびす
恵比寿様は大黒様と祀れる神様としても有名ですが、最近では恵比寿様の日である「えびす講」「十日えびす」などの恵比寿信仰の方が有名かもしれません。
恵比寿講(えびす講)は、旧暦の10月(神無月)に行われる行事で、現在では10月20日か11月20日のいずれかで行われます。恵比寿講の由来は、神無月に国津神は出雲の方に神様の集会で出ずっぱりになり、神社の留守を恵比寿様がされる時に五穀豊穣や商売繫盛を願うお祭りです。
十日えびすは、恵比寿様が誕生されたとされる1月10日にその誕生をお祝いしてご利益に預かろうと考えたことが由来とされます。
十日えびすの由来となるお祭りは、西宮神社で行われていた御狩神事(みかりしんじ)というお祭りや、日本三大ゑびすの京都恵比須神社に由来すると言われます。
恵比寿様を祀る神社
恵比寿様を祀る神社は全国に約3000社程度あります。この恵比寿様を祀る神社(えびす社やえべっさんと呼ばれる)には、ヒルコ神を祀る神社と、事代主神を祀る神社の2系統に分かれます。
恵比寿様を祀る神社の総本社として知られる西宮神社と、恵比寿様をまつる総本宮とされる美保神社という中心的な神社が2つの神社が存在します。
西宮神社(兵庫県)|恵比寿様(蛭子様)の総本社
西宮神社は恵比寿様信仰の中心地であり、ご祭神がえびす大神(蛭児大神)とされています。
平安時代の後期にはすでに存在しており、廣田神社の末社として見られます。
西宮神社の十日えびすは、福男の開門神事でも有名で、日本有数の十日えびすのお祭りを開催しています。
美保神社(島根県)|恵比寿様(事代主)の総本宮
美保神社は古くから土着の漁を行っていた人たちがあがめた海の神・漁の神を祀った神社で、事代主神恵比寿様として祀る全国の神社の総本宮とされています。
美保神社の事代主神(恵比寿様)と両参りすることで、より良い縁に恵まれると言われています。
今宮戎神社(大阪府)
大阪の今宮戎神社は飛鳥時代から続くとされる古い神社で、浜の市があったため市の守護神として恵比寿様が祀られるようになったとされています。
十日えびすは毎年100万人が訪れ、商売繁盛を願う大きなイベントです。
京都ゑびす神社(京都府)
京都の恵比須神社は、漢字表記が異なるものの、今回解説している恵比寿様を祀る神社です。
創建は鎌倉時代とされ、建仁寺の鎮守として創建されました。
恵比寿様を祀る神社の授与品としてよく見られる縁起物の笹は、この京都の恵比須神社が発祥とされています。
恵比寿様の真言(しんごん)
恵比寿様への祈りに必要な言葉は「オン・インダラヤ・ソワカ」です。
七福神を巡る際にも、この祈りの言葉を覚えておくと良いでしょう。
恵比寿様の見分け方と特徴
恵比寿様を見分ける際の特徴は、釣り竿を持っていることと、鯛を抱えていることです。
これらの2つのポイントを確認すれば、高い確率で恵比寿様であると判断できます。
デフォルメ化された七福神の場合も、どちらかの特徴を表現していることが一般的です。
一方、布袋様は軍配か数珠を手にしているので、そこで判断することができます。
簡単にまとめると、恵比須様は風折烏帽子で釣り竿と鯛、大黒様は頭巾で大きな袋と打出小槌、布袋様はスキンヘッドで大きな袋と軍配と数珠です。
個人的によく混同されるのは大黒天と布袋様ですので、これらの違いをしっかり覚えておくと良いでしょう。
デフォルメ化された七福神では、すべての特徴を描ききれない場合がありますので、どれか一つの特徴から判断する必要があります。
恵比寿様の祀り方(大黒様も)
恵比寿様の祀り方についてご紹介します。
まずは、昔の家ではよくあった恵比寿様の置物の祀り方です。多くの場合、恵比寿様の置物は大黒様の置物とセットで祀ります。
恵比寿様と大黒様の飾り方(像や置物)
恵比寿様と大黒様の置物を祀るときは、神棚を造るのが最も良いとされます。
神棚のふさわしい場所は、正面が南向きもしくは東向きになるように作ります。
場所は人がその真下を何度も通るような場所は避け、リビングなどが良いとされます。
清浄な場所で、日当たりがよく明るい場所に置きましょう。高さは大人の目線より高いところにし、神様を見下ろさないようにします。
恵比寿様と大黒様の左右の位置は、恵比寿様が左側、大黒様が右側です。
舞台の上手と下手と同じ考えで、向かって正面右側に上位の大黒様を配置します。
恵比寿様と大黒様の信仰の歴史
恵比寿様が日本でどのように信仰が広がり、今のような商売繁盛の神様になっていったかざっと解説します。
沿岸部で信仰される福をもたらす「えびす」を祀る兵庫県西宮市の西宮神社や、大阪府浪速区の今宮戎神社は活気のある市の近くにありました。
また、国内海外との貿易の海路にあるそれらの神社は航海安全、商売繁盛の神として、市場だけでなく多くの商人が進行するようになります。
平安時代からこれらの市場の神としての恵比寿様は見られ、鎌倉時代には鶴岡八幡宮の境内に恵比寿様を市の神として祀ったことも見られ、すでに商売繁盛の神様として信仰が広がっているのが見られます。
また、恵比寿様は内陸地域においては田んぼの神様、五穀豊穣の神様として信仰され日本各地で信仰されるようになりました。
そして、室町時代には恵比寿様の信仰と、恵比寿様の親である大国主命と同一視される大黒天の信仰がつながり、恵比寿様と大黒様が一緒に祀られるようになったとされます。
恵比寿様のまとめ
これまでの内容、いかがでしたでしょうか。
今回は恵比寿様に関する詳しい解説を行いました。
恵比寿様は非常に栄えた神様であり、その人気は非常に高いです。
ビールと結びついて覚える人もいるかもしれませんが、令和時代に入ってもその知名度が衰えないことは確かです。
以上、恵比寿様の由来やご利益、信仰の広がり、祀り方について詳しく解説しました。
これを機に、恵比寿様のことをもっと身近に感じていただければ幸いです。
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